ヒステリア
1987年8月3日、英米で HYSTERIA リリース。
日本で HYSTERIA が発売されたのは、英米に遅れること約3週間の8月25日だった。
実際私が購入したのは、日本盤発売日からさらに1週間後の9月に入ってからだが、初めて HYSTERIA を聴いたときの感動は今でも覚えている。
レコードに針を落とし、カセット・デッキの録音ボタンを押す緊張の時。Women のイントロが始まる。待ちに待った Def Leppard の音楽! Def Leppard 健在!!! Def Leppard が帰ってきた!!!!!
その後、世界中で大ヒットして、全米だけでも1000万枚の売り上げを記録するモンスター・アルバムに化ける、ということは知る由も無く、純粋に再び Def Leppard の楽曲を聴くことが出来た喜びに浸っていた。
HYSTERIA は、発売当時としては異例尽くめのアルバムだった。
先ず、前作からのアルバム・リリースのインターバルが4年半と非常に長かったこと。
1984年に Rick の事故があったとはいえ、大抵2-3年のインターバルでアルバムがリリースされていた時代、また、次から次へと HR/HM の新興勢力が登場した時代、やはり4年半は長かった。しかし、待っただけの甲斐はあった。
次に、収録曲が12曲、収録時間が60分を越えたこと。
LP の時代は、収録曲が一桁、収録時間も長くて50分位(短いと40分を切っていた)だったので、普通は90分テープにアルバム2枚を録音したものだった(レコードが痛むので、テープに録音して聴いていた時代)。ところが、 HYSTERIA の収録時間は約63分の為、60分テープではアルバム1枚を録音するのに足りない。仕方が無いので90分テープを用意し録音開始。A面 Run Riot の途中で切れるので、B面 Run Riot から録音し直し、余った時間は Animal や Pour Some Sugar On Me を録音して、ひたすらテープを聴いていた。当然、雑誌の切り抜きなどを用いて、カセット・ケースをデコレーションする(FM STATION は便利だった)。
第三に、当時の流れだったエレクトロニクスを上手に取り入れたこと。
これは、異例というものでは無いのかも知れないが、先端のテクノロジーを取り入れ、ポップ化の要素を組み込み、Def Leppard 独自の味付けをしたことで、従来の HR/HM から逸脱した音楽を創りだした。重厚な音楽+分厚いコーラス、という Def Leppard お得意パターンは、その後の HR/HM 勢に過大な影響を与えている。
最後に、BURRN! 誌のレコード・レヴューの評価が非常に高かったこと。
これは、おまけ。BURRN!―BURRNIN’ VINYL〈VOL.2)参照。
1980年代を代表する HR/HM の名盤、HYSTERIA。
その輝きは、 21世紀の今も失われていない。
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